色々と濫用が懸念されていた制度・司法取引を早速ゴーン裁判で悪用する検察の暴挙。

司法取引は日本に馴染むかどうか以前から疑問視されていたにも拘らず、半ば強引に施工となった。

そもそも日本では取り調べの完全可視化や弁護士の立会すらもまとも実現していない。

そんな人権が軽視されている状況において、検察側だけの言い分が先に罷り通ってしまたのだ。

こんなのは国民として甚だ疑問である。

悪代官

昔、HEROと言うTVドラマがあってキムタク主演で大ヒットした事を覚えている人も多いだろうが、現実の検察はとてもヒーローとは呼べない。

こう検察と政府がガッツリ癒着しているのを見せられると、ヒーローどころか悪代官くらいの印象しか持てない。

早速制度を悪用する検察ヽ(`Д´)ノ

去年の年末から紙面を度々賑わしているゴーン事件ではあるが、今度は日産幹部2人が不起訴となった。

ゴーン前会長の情報を提供したとの事。司法取引で「合意」に至ったと記事にある。
関係者によると、日産の外国人専務執行役員と日本人秘書室元幹部の2人は昨年10~11月、特捜部との司法取引に応じた。2人は、ゴーン前会長の役員報酬を有価証券報告書に過少記載したとされる金商法違反事件で、関連する全ての資料を特捜部に提出。ブラジルやレバノンなどの高級住宅を日産に提供させたとする疑惑についても情報提供したとされる。昨年6月の制度開始以降2件目の適用だった。

幹部2人は金商法違反事件ではゴーン前会長とともに関与が疑われる立場にあったが、特捜部と起訴見送りの合意をしていた。一連の事件は4月22日に特捜部がゴーン前会長の4回目となる起訴をし、今後、公判に向けた手続きが進む予定。捜査に区切りがついたこの時期に不起訴にしたとみられる。法人としての日産は金商法違反で起訴されている。
刑罰の減免を受けるのに「合意」とは何事だろうか?
単なる検察のエコひいきだろ。合意とか詭弁もいいとこ。新聞社もグルじゃないのか?(某評論家談)
わざわざ「刑罰を重くして下さい」等と自ら嘆願する奇特な容疑者など存在する筈もなく、刑が軽くなる事を拒否する奴などいない。

それを「合意」に至る、と言う新聞の書き方とか…、到底まともな日本語とは言えない。

検察官が、さも法に則って公正に動いているかの如く見せかける為の詭弁として、そういう表現を使っているのが見え見えである。


司法取引での刑の減免は、自白を拒んでいる人間から有力な証言を得る為に使われるべき物であろう。

例えば、暴力団の組長を訴追する際に、その子分から証言を得る時などに使われるのが本来の目的の筈だ。

そしてそれがギリギリ世間が納得してくれる司法取引の有り方だと思う。

ところが今回のケースでは、自ら積極的に証言をした人間が司法取引を受けている。はたして、こんな不公正が許されていいのか?

事件の動機を考えて見ると…

そもそもゴーン事件は、日産幹部の謀反が切っ掛けである。ルノーとの合併を阻止する為に、心変わりしたゴーン会長を日産の社員が刺したのだ。

日産幹部

その刺した方法が、検察への密告であり、通報であった。

つまり、検察に言いたくて言いたくてしょうがない連中が、ゴーン周辺を粗探しし、彼を陥れるために積極的に告発したのである。

しかも、門前払いを喰らわないように、相当な資料とともに綿密な情報を提供している。

簡単に言えば、自分の会社や立場を守る為に、専ら私的な理由で動いたのである。そこに公正な理由は見当たらない。

そんな連中を司法取引で不起訴にしてしまったのである。

もし彼らが、ゴーンの不正が見逃せず、義憤に駆られて告発した勇気ある社員と言うのであれば、そこは司法取引でも良かろう。

しかし彼らの動機は単なる保身だけである。

もし、ゴーン氏がルノーとの合併にノーを言い続けていれば、何の行動も起こさなかったであろう事は目に見えている。

眼の前でゴーン氏の不正を目撃したとしても、一緒に吊るんで甘い汁を吸っていたかも知れない。

そんな「不純」な動機を持ったチンピラどもが、司法取引の対象になっていいものだろうか?

検察の恥部ばかりが露呈するゴーン事件

ゴーン事件と言うのは、本当に日本における司法制度の欠陥を国際的に晒らす事となった出来事である。

それは、代用監監獄制度であったり、取調べに弁護士が立ち会えないことであったり、勾留機関の異常な長さであったり…様々である。

もちろん日本の検察が人権を蔑ろにしていると言う実態が知れ渡ってしまい、国際世論から批判の的になっている。

批判の的

日本の行政機関は自浄作用に著しく欠けるので、こういった現象は誠に歓迎すべき事であろう。

が、司法取引の制度は去年の6月に出来たばかりのオプションである。それも欧米から学んで採用した筈の物。

それが早くも差別的に濫用されているのを見れば、個々の司法制度の欠陥と言う以前に、その運用のされ方にこそ一番の問題を孕んでいるのが分かる。

検察官そのものが人権へ配慮する意識が希薄であろう事が伺えるのである。

いち企業のお家騒動にまで首を突っ込んで、正義の味方にでもなったつもりでいるかも知れなが、全く余計なお世話である。

そして、日本の検察は権威やプライドだけはやたらに高く、間違いや非を絶対に認めようとしない。

村木氏の冤罪事件では証拠を捏造してでも、間違いを認めようとはせず、検察の社会的権威に拘っていた。

かくなる上は、強烈な外圧で是非ともその出鼻を砕いて欲しい物だ。

自浄能力がないのだから仕方がない。

当たり前体操である。

最後に一言…、

ゴーン事件の報道がある度に、検察頑張れ!などと掲示板に書き込むリテラシーが低い人間をよく見掛ける。

が、残念ながらそれは、自分が如何に低能であるか晒しているだけの行為である。

そうは言った所で、低能過ぎて奴らにはその自覚すら無いのだろうけど(笑)
調整中

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