私は愛の難破船~♪中森明菜が歌ったフレーズは昭和。

この今日は楽曲提供者が加藤登紀子さんだったと言うことで話題を呼びました。これが最初で最後の提供となりました。

wikkより
「難破船」は、加藤が作詞と作曲を手掛け、自身が歌唱した楽曲で、ムーンライダーズの白井良明が編曲を担当し、さらに同メンバーの武川雅寛によりストリングス・アレンジが施された。この楽曲は、アレンジを手掛けた白井プロデュースによるスタジオ・アルバム『最後のダンスパーティ』の収録曲として発表された。「難破船」を含むこのアルバムのレコーディングは1984年秋に行われ、同年12月1日にポリドールより、LPとCDの2形態でこのアルバムは発売された。
1987年9月30日に、中森明菜の19枚目のシングルとして「難破船」がワーナー・パイオニアよりシングル・レコーでリリースされた。この楽曲は、加藤登紀子からの楽曲提供であるが、中森による加藤の「難破船」のカバーでもある。加藤は、中森にこの楽曲のテープを送り、歌わせたいと切望したという。

これが明菜の難破船!

加藤は、テレビ番組で中森の22歳の誕生日祝いをしているのをふと見て、この楽曲のシーンと中森の雰囲気がぴったりであると思い、加藤自身しばらくこの歌を歌うのを止めるから、あなたが歌ったほうがいいとコメントし、この楽曲を送ったと明かしている





















『CDジャーナル』は「難破船」について、「ロマンティシズムあふれる逸品」であり、なだらかな弦楽奏が劇的に高まっていく楽曲と指摘した上で、中森の低音部を発揮させた歌唱が伝わり、典雅の極みであると批評した。
1987年度のオリコン年間シングルチャートでは、6位を記録した。トータルセールスでは、1987年のオリコン年間シングルチャートで2位を記録した「TANGO NOIR」を上回っている。

以上。

続く
調整中

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