この曲を皮切りとして、出す曲全てが初登場オリコン1位を記録するのです。そういう意味では、この曲が本当のブレイクポイントかも知れません。
wikkより
1981年、『スター誕生!』本選3度目の挑戦となった8月2日の放送(7月11日収録)で、中森は山口百恵の「夢先案内人」を歌い、同番組の史上最高得点となる392点で合格する。合格後、スカウトを受ける場となる決戦大会までのおよそ1か月間、日本テレビ音楽学院でボーカルとダンスレッスンを受ける。同年11月29日放送(11月11日収録)の決戦大会前の事前審査にあたる下見会を経て、12月6日放送(11月18日収録)の決戦大会で再び「夢先案内人」を歌唱。合計11社のレコード会社や芸能プロダクションから獲得の意向を示すプラカードが上がった。これを機に中森は、研音所属とワーナー・パイオニアとのレコード契約を決める。その後、1982年2月に行われる初レコーディングに向け、自身での発声練習に加えて、ボーカル・トレーナーの大本恭敬のもと、週に1・2度ほどレッスンを積んだ。今回はセカンド・ラブを振り返ります。
明菜最初のヒット曲
最初の動画を見れば、明菜の人気が沸騰している様子が分かります。これは、まさしく中森明菜が美空ひばりや山口百恵などと肩を並べた瞬間と言えるでしょう。
この曲から彼女の伝説が始まったと言えるでしょう。
この語の快進撃は皆さんが知るが如くです。。。
続く。
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