とにかく日本人は民族的に霊との距離が非常に近く、西洋のように創造主や全能の神が居て、普く人々と繋がっている、みたいな壮大な宗教感覚はありません。
付喪神を始めとするそんな究極の多神教文化が、そもそも日本にあった土着信仰なのではないかと思います。
その後、豪族の発生によって神道の基礎が出来、仏教の伝来によって宗教のグローバル化が起こったものと考えられます。
アマテラスの大御神や大日如来の如き統一神が登場するのも、宗教のグローバル化が齎した後の現象だと考えられます。
多神教でありながらも、グローバルな展開もする日本の宗教感覚。
そこにはスピリチュアルな存在に対し、かなり柔軟と言うか臨機応変に対応する大胆さがあったりしますね。
怨霊までも神様にする文化
恐らく怨霊とされた存在を神様に祭り上げて信仰の対象としてしまう文化があるのは世界広し言えど、日本くらいしか無いでしょう。信仰と言うのは恐れとか畏敬の念から生まれる事も多く、ジャングルに居る裸族の信仰の中には強い肉食獣などを神様にしている物は多数ありますが、日本のそれとは根本的に違うものです。
では日本ではどうなっているか?
と言うと、最初に思い浮かぶ実例では「太宰府天満宮」ですね。
いまでは学問の神様として広く知られ、全国に12000以上もの社寺を誇る一大勢力で、もはや宗教勢力と言っても良いかも知れません。大手コンビニ以上の規模ですw
怨霊とされた存在を、一気に神様に祭り上げて、それが千年以上も大規模に信仰されるなんて多分他にないんじゃないでしょうか?
他に怨霊神と浮かぶのも矢張り日本の事例で、平将門くらいしですかねぇ。規模こそ違えど、こちらも千年以上、神様として手厚く信仰されています。
考えて見れば、どちらも平安時代ですし、建立したのは時の宮家。つまり皇族方です。
こういう怨霊を神として奉る発想は天皇と言う巨大な一族の存在と密接な関係を抜きに考えられません。
まぁ、ふと、思いついた事を書いてみました(笑)
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