有名人と公人は明確に違いますっ!!

似て非なる物の代表として、有名人と公人という言葉があります。

これは時々ごっちゃにする人が居ますが、実は全く違うものです。同じ部分は何一つないと言っていいでしょう。

有名人と言うのは比較的曖昧な概念です。

それは読んで名の如く、有名な人物です。とにかく漠然と有名であれば、有名人と言えるでしょう。

それは本人の意思で有名になった場合もあるでしょうし、全く事故の様に、ある切っ掛けがあって有名になる時もあります。

そして、後者の場合は不本意ながら有名になってしまうケースも多々あります。芸能人なんかは逆に典型的な前者のケースと言えます。

公人とは定義出来る物!

公人と言う概念は明確に定義出来るものです。

すなわち税金で飯を食ってる連中。それが公人です。それ以下でもそれ以上でもありません。もちろんそれがメインの収入でなくてもそれが庶民感覚で多額であれば同じです。

職業で言うと公務員と政治家は全くの公人であると言えます。

公人は公職です。血税で食ってます。ですからその発言や行動には法的にも道義的も色々な制約や規範が伴います。当たり前です。

しかしながら、有名人はその必要は全くありません。当たり前です。有名人は有名なだけで公人ではありません。強いて言えば私人です。

肖像権

ところが世の中には、有名人と公人をごっちゃにする低能ポンコツ野郎がたまに居るので困ったものです。

特にそういう低能ポンコツ野郎がTVのコメンテーターだったりする時は見ていて不快感です。

政治家と芸能人

公人の代表が政治家とするならば、有名人の代表はタレントという事になるんでしょうか?まぁ、芸能人と言い換えても良いかも知れません。

政治家はその行動や言動に責任が求められます。

当然、失言などをすれば叩かれて当然ですし、結果として除籍・更迭・辞任に追い込まれも自業自得です。擁護なんぞちゃんちゃら可笑しいのです。

政治家イメージ

しかしながら、芸能人に同じ倫理観を求めるのは間違いです。何故なら彼らは公人ではありません。税金で飯を食っていませんから当たり前です。

その区別も出来ない能無しコメンテーターが、スキャンダルを起こした芸能人に対して記者会見を求める発言をしたりしています。

まるでそれが義務でも有るか如く強要しています。

ホントに反吐が出ますね。何度でも言いますが、芸能人がスキャンダルを犯したからと言って説明責任を果たす義務は1ミクロンもありません!


そして誰にもそれを強要する権限は無いのです!芸能人は記者会見をする義務なんぞ全く無いのです!

それをしなかった事によって人気や仕事に影響が出ると言うのは、また別次元の話です。義務や責任などは存在しないという事が基本です。

逆に、櫻井五輪相や麻生財務相ような政治家は失言一つと言えど、許されるものではありません。何故なら奴らは公人だからです。

これには絶対的な説明責任が伴います。これは義務です。やらなければならない事です。記者会見は当然の事です。

これを怠ったのであれば、更迭・解任等は当然です。非難・糾弾されて然るべきです。何なら逮捕して監禁しても良いくらいです。

櫻井五輪相などはホントは解任されるべきなのです。もっと言うと、政治家としても弾劾されるべきであり、現職閣僚のままとかもっての他です。


これには政治家本人に対して怒りを覚えます。

公人の失言は社会的制裁を食らうのは当たり前。擁護するなんて言語道断です!

そしてコメンテーターはもっともっと舌鋒鋭く糾弾するべきでまだまだ全然足りません。世論を喚起するくらい声高に非難すべきなのです。

政治評論家が日和るなんてちゃんちゃら可笑しいです。ここは日本です。中国や北鮮では無いのです!

公人と有名人

この様に公人と有名人は全く違う物です。

コメンテーターの態度について言えば、全く真逆の対応であるべきものです。

コメンテーターが有名人に対して、説明責任を求めたり、記者会見を強要するのは横暴であり謁見行為でしかなく、許されない行為です。私人としての人権を侵害しています。糾弾しようものなら名誉毀損で訴えるべきです。

コメンテーターが公人に対して、説明責任を求めたり記者会見を強要するのは当然の事でやるべき行為です。政治評論家なら尚更の事。非難・糾弾には手を緩めるべきではなく、擁護するなんて許されない行為です。


このように公人と有名人は似てるけれでも、実は全く違うもので、場合によっては正反対のものです。

これらは絶対に一緒くたに出来る性質の物ではありません。

一緒くたにして同次元で語る奴は、何も知らない低能野郎である事を自ら晒しているようなものです。

そんな奴を見掛けたら、思いっきり軽蔑して見下してやりましょう!
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