しかも弁護士が交代したらいきなり認められたという顛末を聞いて、そんなに弁護士の能力に個人差という物があるのか、と改めて思い知らされました。
弁護士の能力差
前回までは所謂ヤメ検の弁護士だったという事だったんですが、今回はずっと弁護士畑を歩んで来た方と言う事で、前回の方とは検事VS弁護士と言う形で法廷対決もした間柄であるとか。そういう因縁めいた関係性で、弁護業務の引き継ぎがどうやって行われたか、ちょっと野次馬的興味もありますが、弁護士が変わるといきなり保釈が認められると言う展開も劇的です。
公判前のこういう保釈の段階でも弁護士の個人差と言うか実力差が如実に出ると言うのであれば、やっぱりお金持ちの方が裁判って有利なんでしょうか?
当然ながら有能で実績がある弁護士は費用も高額でしょうし、新人や知名度の低い弁護士は相場も安い筈です。
でも大概の刑事事件の場合、被告にお金があることは稀ですから国選弁護人という事になります。
となると当然ながら被告によって弁護士の当たり外れが発生します。
弁護士の優劣を図る指標などと言うものは公的には存在しない筈ですから、被告は実力未知数のまま担当弁護士の能力に頼らざる負えません。
現実はドラマと違う…
TVドラマの様に正義感に燃えた弁護士が果敢に活動する事が実際の法廷闘争にてあり得るかどうかは分かりませんが、その可能性は極めて低い気がします。日本の刑事事件において、一度起訴まで行った事件は、ほぼ有罪になりますから、弁護士の活動は量刑を争うケースが大半でしょう。
弁護士の当たり外れで、刑期が何年も変わって来るとなると、これは結構な問題です。
無能だったりやる気の無い様なハズレの弁護士だと冤罪被害にだって会いかねません。
それほどまでに重要な存在である弁護士が、国選の場合、運次第と言うのは考えると恐ろしい話です。
医者と比べると…
例えば、大病を患った時に、良い医者に巡り合うかどうかで、その人の人生はかなり左右されます。その点では弁護士と似たような環境かもしれません。
それこそ癌とかであれば、医者との巡り合いが生き死ににも関わる重要な問題でもあります。
でも、日本には国民皆保険制度があり、本人の意思で医師を変えることは可能です。保険の範囲内であれば形式上の機会平等は担保されていると言えるでしょう。
ところが弁護士の場合、そういう訳には行きません。
完全にお金が物を言う世界です。ゴーン氏のようにお金持ちであれば、有名な弁護士を雇う事も可能ですが、そうでなければ運だけなのです。
もし、法廷用の国民皆保険制度みたいな物があれば、医者のように機会の公平性が担保出来るかも知れませんが、現実は国選弁護人制度だけで人権が守られているとするのが国の立場です。
日本は司法後進国
機会の公平性を担保させるのが本当の人権尊重だと思いますが、日本のような遅れた司法制度の国には望むべくもありませんね。被告となった人間が自由に弁護士を指名出来て、その費用は国が持つような便利な仕組みが作られる事ないんでしょうか?
ちなみにそんな国ってあるんでしょうか?
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