でもその軽減税率の対象に新聞がさらっと含まれている事を一体どのくらい人々がご存知なのだろうか?
ここに見え隠れする新聞社と政府の癒着を正面から取り上げているニュースは勿論皆無である。
1.GHQが手抜き?
日本ではその歴史上、市民革命と呼べるクーデターが起こったことがない。明治維新はある意味革命かも知れないが、どちらかと言うと内戦と言う色彩が強く、市民の革命ではない。
では何故、日本がある程度、民主化されたのと言うと、言うまでもなく先の敗戦である。
日本での市民革命は敗戦がその役割を果たしたと言っても良いだろう。
軍国主義の体制を切り壊して日本を西側諸国の民主連合に加える為、GHQは一時的に日本に占領体制を引き大鉈を奮った。
軍事裁判、財閥解体、農地改革、税制の刷新・・・GHQの政策は概ね上手く行ったと言うのが後世での歴史の評価である。
しかしながら、大きな伏魔殿に手を付け無かった事は非常に残念でならない。つまり占領政策は中途半端に終わったと言わざる負えないのである。
それは言うまでもなくマスコミの解体である。当時で言えば、新聞とラジオだ。
何故、GHQはそこに手を付けなったのか?
ある意味メディアの存在を随分ろ軽んじていたとしか思えない。或いは自分たちの洗脳機関として利用するために敢えて残したのか…?
2.戦時新聞の大罪!
大本営発表と称し、軍閥の一翼を担い市民の意識を戦争へと仕向けた新聞・ラジオの罪は重い。しかもフェイクニュースを乱発し、国民を騙し続けたのある。当時の新聞の罪咎は本当に重く、上級軍人や政治家以上の責任があった筈である。
にも関わらず、A級戦犯と呼ばれ処刑された者の中には大新聞社の幹部が含まれていない。もちろん出版のTOPもだ。
この手抜きとも思えるGHQの戦略には防共政策を推し進めたCIAの意向が大きく関与していたと考えられるが、今となっては迷惑千万でしかない。
財閥解体を免れた各新聞社が、その後TV局を配下に置き、戦後の民意を長きに渡って操作していた現実は誰もが知るところである。
金科玉条の如く「報道の自由」を盾に取り、自分達こそが正義であるかの如く振る舞うその驕り高ぶった姿勢には謙虚さの欠片もない。
無論NHKとて例外ではない。
むしろ大本営発表をラジオで貫いたNHKであるからこそ伏魔殿の総本部として弾劾されるべきなのである。
本来なら終戦時に一度完全に協会を解散させるべきではなかったか?
新聞を中心とした日本のアナログマスコミは権力をチェックするべき本来の機能を完全に忘れ、あまりにも政界と癒着し過ぎている。
見渡せば分かるが、政治記者から国会議員に転身するケースがあまりにも多い。また与党内に早稲田の弁論部が派閥ように暗躍している事実からもその一旦が伺える。
3.四番目の独裁権力!
マスコミは司法・行政・立法に続く第4の権力であるとされる。その根拠は政治のチェック機能があるからだ。しかしながら、日本の場合、チェック機能と言うよりも大きな既得権益として居座ってしまっている側面の方が大きい。
自分たちが正義であり、自分たちが政治権力であるが如くと振る舞うこともしばしば。公権力をチェックするのではなく独裁的な権力を自ら行使してしまうのである。
当然ながらマスコミと言うのは企業の集まりに過ぎず、国会のように民意の付託を受けている訳ではない。
にも関わらず、自前の論理を降りかざし、横暴の限りを尽くすのであれば、そこには大いなる摩擦や齟齬が発生し、それは人権侵害の形で表面化する。
その一つのが今回の京アニ事件実名報道であろう。
ネットが無ければ、この様な蛮行は全く批判されることなく、まるで当たり前の様にスルーされていたに違いにない。
数十年前のネットが普及する以前、実際にそうっだったのだから。
4.実名報道に何の必然性もない!
京都アニメーションの放火テロは全く予想すら出来なかった悪質な大量殺人である。死者35人と言うのは、比べるのも何だが、7人もの死刑囚を出したオウム事件の被害者よりも多い。
それほど理不尽で凄惨な事件であるからこそ、被害者に対しては特段の配慮が求められる。その人権よりも優先される事情なんぞ何一つ存在しない。何一つだ。
これは死亡した被害者の実名の公表を渋り続けていた京都府警の態度を見ても明らかだ。
にも関わらず、マスコミ連盟は報道協定を振りかざし、この一ヶ月間ずっとその公表を迫っていた。
そして、今回、京都府警は重い腰を上げ実名の公表に踏み切った。そしてそこには警視庁やマスコミ、府警側などの色々な力学が働いたという話も漏れ聞こえて来る。
ある意味、新聞社と警察の力関係が分かってしまう瞬間でもあった。
これは、戦後GHQが財閥解体の対象にメディアを加えなかった負の遺産の一旦でもある。
しかも犠牲者の身元公表を求める申し入れが報道各社から京都府警になされたことに反対し、身元公表を求めないとする署名運動がネット上で活発な動きを見せていた。
7月18日に発生したこの事件について、京アニ側は「弊社は警察及び報道に対し、本件に関する実名報道をお控えいただくよう、書面で申入れをしております」とホームページ上で述べているが、京都府内の報道機関12社で構成される在洛新聞放送編集責任者会議は、犠牲者35人のうち身元が明らかになっていない25人の実名発表を求める申し入れを京都府警に行ったことが明らかになっている。今回、Change.orgで始まった署名は、こうした報道機関の姿勢に反発するネット上の声を集めたもので、開始後、約1日で1万人の署名を集めるなど活発な反応を見せている。現状、実名発表を拒む姿勢を見せているのは京都府警ではなく警察庁だとする報道もあるが、今回の署名はその方針を維持する後押しとなることが期待される。
これは、実名報道に反対する署名運動を報じたネットニュースの抜粋であるが、こうした動きは一切無視される。
京都府警の実名公表。これがtwitterに多く見られる世間一般の反応である。署名書の提出日を避け既成事実の様な形での公表である。
何が不快かって、京アニ事件実名公表反対の署名運動の署名提出予定日の前日に公表したことよね。
既に1万5000人弱の署名が集まっていて、明日が提出予定日だったのに、逃げるように今日サラッと公表したの信じられない。
「もう、公表しちゃったから、署名持って来ても意味ないよ、テヘペロ(笑)」
簡単に言えばこんなところであろう。
そしてマスゴミ各社の但し書きは横並びのテンプレート。
毎日新聞は、事件や事故の犠牲者について実名での報道を原則としています。亡くなった方々の氏名を含め正確な事実を報じることが、事件の全貌を社会が共有するための出発点として必要だと考えます。遺族の皆様への取材に関しては、そのご意向に十分配慮し、節度を守ります。NHKもこんな感じ。
NHKは事件の重大性や命の重さを正確に伝え、社会の教訓とするため、被害者の方の実名を報道することが必要だと考えています。そのうえで、遺族の方の思いに十分配慮をして取材と放送にあたっていきます。遺族に無許可で実名公表をしくさった挙げ句、この全く配慮の欠片も感じられない無機質な公開理由。
しかも中身はカルテルでも結んでいるかのような同じ文章。ここに「遺族の方の思いに十分配慮をして…」と言う姿勢を感じ取れと言われても無理ではないか?
このお役所仕事以上に機械的で事務的なそっけなさに、温かみを感じ取れる人間が居たとしたらその方は相当なエスパーである。
5.ありえない自己弁護
マスコミはよく自己弁護のように「公表是非を問われるが…」と言う方をする。が、何を好き勝手にいっているんだ、と言いたい。殆どが「非」であって、是等と言ってるのはお前らマスコミどもだけだろ!!
すっとぼけるのもいい加減にしろ。
これが一般国民の素直な反応である。
この京アニ実名報道を切っ掛けとして、週刊誌などの下衆なマスコミは遺族の元へ押し寄せるかも知れない。
頭の可笑しいyoutuberなどが人権にも配慮しない動画を取りに来る可能性だってあるのだ。
そこに被害届を出したり、訴訟を起こしたりすれば、遺族は益々晒し者になり人権が侵害されると言う悪循環が生じる。
その人権侵害に対して新聞各社が責任を負うことはない。
実名公表の記事を書いた記者の個人名が公開される事さえないだろう。
実名公表を望まない遺族の意思を踏み躙る大義など何処にあるのか?
事件の重大性や命の重さを正確に伝え、社会の教訓とするために何故、人権を侵害する必要があるのか?
全く人道的でないし、そもそも論理的ですらない。これが公共放送と名乗るNHKの実態である。
あなたはその言い分に納得出来ますか?
昭和の時代と違って、現在の令和にはネットがある。そしてTVの影響力は絶対では無くなって来ている。
京アニの報道被害に関して地上波TVが取り上げる事は無いだろう。
だからと言って黙ってままで居れば、昭和時代と何も変わらない。
Twitterでもfacebookでもブログでも何でも良いと思う。その憤りや疑問を素直に発信していく姿勢は大事ではないか?
奢り腐ったマスコミを黙らせるのはネット民の責任ではないかと感じる。個人も膨大に集まればマスとなる。
僕はこのブログで容疑者段階での実名報道にも非常に憤りを覚えている事を以前書いたことがあるが、被害者の関しても同様である。
報道による二次被害、セカンドレイプをこれ以上発生させない為に、ネット民は宜しく糾弾し、マスコミを黙らせて行く時代になったのではないかと思う。
本当に強くそう思う。。。
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