映画ガッチャマンに見る悲惨な実力差。

物事にはとかく黒歴史という事があります。そして映像と言うのは時として言葉以上に真実をそのまま映し出します。


黒歴史に遺された真実は時代を経て益々残酷な記録になります。

その時、歴史は動いた!?

役者が売れる売れないと言うのは、お芝居旨いとか下手と言うレベルで決まるとは言えません。

例えば、仮面ライダーに出ればすぐに売れる場合もあるし、ジャニジムであれば事務所の力で売れる、という事務所の力によるケースもあります。

若手の男性の場合、アイドル的にパっと売れてしまうケースが少なくありません。

でも、そういうケースでは、残念ながら演技力等の実力が伴っていない事が殆どです。

今や実力派の俳優としてバラエティなどでも出演が多い哀川翔も、80年代のTVドラマなどでは大根丸出しでした。セリフは棒読みで素人以下だったのです。

お芝居の実力と、人気と言うのは必ずしもリンクはしません。

実力があるのに下積みから抜け出せない役者さんも悲惨ですが、実力も無いのに人気だけが沸騰したケースも、それはそれで結構悲惨です。

その大根な証拠が映像として残りますから、それが拡散し、再生される事が末代までの恥にもなります(笑)

哀川翔のようにベテランとなり実力派として認知されてしまえば、ネタ映像で笑っておしまい!かも知れませんが、その後低迷したり、消えてしまったりしたら、そこに残るのは黒歴史です。。。

歌舞伎の実力はアスリートクラス

スポーツ選手はたくさん居ます。そしてその中でも特に優れた選手の事をアスリートと呼んだりします。

そんな実力による階級が役者の世界にあるのではないかと私は考えます。

私が考える役者世界のアスリート、それは歌舞伎役者や能役者などです。

彼らは基本、世襲ですから役者稼業も英才教育で叩き込まれています。それはもう、フィギアの選手とか卓球のオリンピック強化選手の如く、幼少の頃が練習漬けの生活なのです。

そういったアスリートクラスの役者さんと、人気だけのパッと出の俳優が共演すると、可愛そうなほどに悲惨です。その実力の差は素人目でも明白なのです。

それは、例えばTVドラマだったり、劇場映画の形で映像が残ります。その気になれば何時でも確認は可能です。

実例を挙げると…

私が思い出す直近の映画で一番悲惨だったのは、実写映画のガッチャマンです。

皆さんご存知でしょうか?

ガッチャマンには実写の映画が存在していたのです。これはもう、出来栄えの酷さと興行収入の悪さから、存在そのものが抹殺状態です。

制作した日テレも、その事を自局の番組で触れることはありません。公開時もたった3週で打ち切りになっています。

さて、クソ実写映画の中でもデビルマン以上に評判が悪いガッチャマンですが、この映画で主役を張っていたのは松坂桃李。

現在、彼がメディアの前でこの映画に付いて語ることはありません。彼にとっても全くの黒歴史でしか無いのでしょう。

思い出したくない思い出

さて、話を戻しまして、パッ出の役者とアスリートクラスの役者が共演する悲惨である実例がこの映画の中にはあります。

ガッチャマンで言うと、人気だけの大根役者が松坂桃李、そしてアスリート俳優は中村獅童。萬屋錦之介の息子です。

しかも、松坂桃李は正義の味方で中村獅童が悪の手先。

にもかかわらず、圧倒的な演技力の差で中村獅童演じる悪の手先が目立ってしまい、映画としての構図が完全に機能していませんでした。

中村獅童の迫力ばかりが際立つのです。

映画の盛り上がり部分でもある二人の共演シーンでは、悪役の中村獅童のオーラが大き過ぎて正義の味方カッチャマンが霞んでしまいます。

映画の構成自体も酷いから、ガッチャマンよりも悪役の中村獅童を応援したくなるくらいです(笑)

この映像を今見ると、松坂桃李ご本人も絶対嫌な筈です。

実力があるにも拘らず、人気が出ない役者さんも気の毒かもしれませんが、意図せずして人気者となり、経験も浅いままに主役を張ってしまう役者も相当に気の毒なのではないでしょうか?

・・・・・・諸行無常!(笑)
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