コンプライアンスと言う名のファシズム

角界でも、体操界でも、スポーツの世界で、その指導体制が揺れています。

パワハラ事件が相次ぎ、パワハラを告発した側が逆にパワハラとして告発され、もう訳が分かりませんww


こういったパワハラ問題にしても、上場企業の人事管理にしても、そこには明確な指標に基づく倫理的な規律が求められています。


その総称を、コンプライアンスと呼ぶこともありますが、このコンプライアンスと言う概念、使い方を間違えるとパワハラを抑止するどころかパワハラそのものにも為ります。

濫用される危険性…

法律でも何でも過剰に運用されるとそこには悲劇しかありません。

過剰に運用されるとその立法趣旨の目的とは真逆に機能してくるものです。

法律の過剰運用は過剰捜査を生み出し、簡単に冤罪を生み出します。時の為政者が悪用すれば言論や表現は簡単に潰されます。人権の弾圧なんぞ簡単に出来ちゃうんです。

コンプライアンスと言うはある意味漠然とした概念ではありますが、それはルールや戒律に援用される事が多いので過剰運用とか乱用が述べつ幕無しに発生します。


そしてコンプライアンスが必要以上に運用されると確実にファシズムになってしまいます。

これが一番怖いところ。

コンプライアンスと言う大義名分が暴走すると、人はこれを金科玉条の如く乱用し、他者はそれに反論することが許されない空気が形成されてしまうのです。

有識者で作る組織の筈が、

例えば、パワハラを防止する為に有名企業にはコンプラアンス委員会なる物が設置されるケースが良く見受けられます。


そんな物は、世間受けを良くする為の体裁として第三者委員会的な位置付けで作られたりもするのですが、その組織自体が段々権力を持って来て、部長クラスもコントロールが利かなくなる場合もあったりして、もう、そうなると企業内圧力団体でしかありません。

企業内の厄介者やライバル追い落とすための権力闘争の小道具みたいにして使われ始めるのです。

くノ一みたいにOLを駆使してセクハラを捏造し、ライバルを追い落とす…なんて事が行われたりもするのです。

もっと大規模になると、コンプラアンスが本当に金科玉条として使われ始めます。

TVが詰まらないのは…、

特に顕著なのはTV番組。

いまの地上波TVは明らかに詰まらなくなっています。昔の番組と違って尖った企画が少なく無難にお行儀良い番組作りしかなされない為、平均的に番組の質が下がっている事は否めません。

TV離れが進んでいる現在、各局はそれを押し止めようという努力がなされていません。

こんな事では、地上波の黒字経営もそろそろ息切れ寸前なのではないかと余計な心配もしてしまいます。

TV局が、何故こんな保守的な姿勢でしか番組を作れないのかと言うと、これもやっぱりコンプライアンスの過剰運用が原因。


正しく、その過剰運用がTVを詰まらなくしているのです。しかも現場を萎縮させ、今後も縛りつづけるだろうという事なのです。

これは明らかに表現の自由や言論の自由に抵触していて、文化を破壊する行為に他なりません!

コンプラアンスの暴走

コンプライアンスと言うのは本来的には人権を守る目的で作られたものですが、この場合は明らかに反目に作用しています。

そうです。コンプライアンスという物は過剰に乱用されるとファシズムへと変遷してしまうのです。


パワハラを抑止する為のコンプラアンスそのものがパワハラって変ですよね。

パワハラ無くすために、もっと大きなパワハラで抑え付けるとか本末転倒です。

コンプライアンスの遵守を検証するために業界は良く第三者委員会という体裁を取りたがりますが、その前に、コンプライアンスの運用そのものが適切に行われているかどうかを監視する第四者委員会が必要なんじゃないの?^^;

そして、第五者も作って、第六者も作って…、
調整中

0 件のコメント :

コメントを投稿