これでいつも問題になるのが行政と司法の関係。
単純に言えば、恩赦という行為は明らかに三権分立の原則からは逸脱した行為である。憲法違反と言う誹りは免れないだろう。
しかしながら、実際は世間の反発も大して受けること無く、大きな祭事が国家規模で行われる時は、毎回当たり前の様に実施される。
多分、減刑対象となる罪が軽犯罪に限られれているので、そんなに問題視されないのであろう。
三権分立と祝い事
日本国憲法には明確な三権分立の規定はない。そもそも議院内閣制と言うシステムは行政と立法が完全独立している制度ではないので当たり前かも知れない。もし憲法に三権分立を明確に規定するのであれば、先に議院内閣制を止めなければならない。大統領制にでも移行する必要があるだろう。
つまり日本という国は三権分立の国ではない、と言う現実がある。
とは言え、三権の独立が蔑ろされて良いという理屈にはならない。三権分立が憲法以上に遵守されるべき大原則である事に違いはない。
恩赦という制度は、それこそ豪族の時代から続く伝統的な慣習で、祝辞に属する物であるからすぐに止める事が出来ないと言う理屈はあるかも知れない。
だからと言って、こんな簡単に行政が司法判決を覆せてしまうシステムには、かなり再考の余地があると思う。
穿った見方をすれば、政治的な権利の濫用も見て取れるからである。
減刑の対象になるのは?
恩赦による大赦・復権の対象者は1,000万人規模になると推察される。これは対象となる罪の殆どが道交法違反などの軽微な犯罪だからである。それほどに道交法で検挙される人数は多い。
あとは資格停止の回復や、有罪判決の前科が消滅する大赦などがある。
でもここで問題とすべきは、公職選挙法に対する免除だろう。これには政治的意図しか感じられない。
大規模な恩赦のドサクサに紛れて悪徳政治家がこっそりと復権しているのであば、それは由々しき問題である。
国民・有権者が黙っていてはいけない。
今年は統一地方選挙と参院選挙、大きな選挙が目白押しである。そういった年度に政治的恩赦が実施されるのはどう考えても適当ではない。
公職選挙法には被害者が居ない、などと宣うアホが居るが、それはとんでもない詭弁である。どう考えても有権者が被害者であろう。
被害者が居ないから復権しても良いなどと言う詭弁がまかり通るようであれば、それはもう民主国家でない。
恩赦の政治利用は即停止すべし!
恩赦が行われる際、殺人や強盗などは重大犯罪であるから対象外となっている。これは当たり前の話。しかしながら、もう一つの当たり前が骨抜きになっている。恩赦の実行においては過度に政治的になっては行けないと言う原則である。
公選法違反が恩赦の対象のままで有り続ければ、この原則は蔑ろのままである。
安倍内閣は売国奴の集まりであるから、この辺に配慮するかどうかは不明である。
だが、参院選挙でケチを付けられたく無ければ、ハッキリと公選法は恩赦の対象から外すと明言すべきであろう。
まあ安倍のような独裁者に何を言ったところで無理かも知れんが。
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