中森明菜「ミ・アモーレ」はヨーロッパを強く意識した曲だったのか!?

セカンド・ラブを除けば明菜最大のヒット曲となった「ミ・アモーレ」。

この曲の特徴は何と言っても明菜ビブラートと呼ばれるロングトーンの部分でしょう。アリアナ・グランデも真っ青の発声です。

当時はマライアもデビューしてませんし、ホイットニー・ヒューストンもブレイク前です。米国進出しても良かったかも知れません。

wikkより
「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」は、1985年8月10日発売のスタジオ・アルバム『D404ME』からの先行シングルとして、1985年3月8日にシングル・レコードで発売された。スタジオ・アルバム『D404ME』には、この楽曲のSPECIAL VERSIONが収録された。シングル・レコードのライナーノーツには本曲の楽譜が掲載された。
チャートの成績
この楽曲は、TBS系音楽番組『ザ・ベストテン』では、1985年4月11日の放送で1位を記録し、1985年度の年間総合ベストテンでは、第3位を記録した。オリコン週間シングルチャートでは、1985年3月18日付で初登場・最高順位ともに1位を記録し、翌週の1985年3月25日付でも2週連続となる1位を記録した。同チャートの100位以内においては、計19週に渡ってランクインしている。また、1985年度のオリコン年間シングルチャートでは、2位を記録し、63万枚を上回る売り上げとなった。

動画で振り返る

「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」は、第27回日本レコード大賞で日本レコード大賞を受賞しました。彼女とっては初めての大賞受賞曲でした。

この頃からレコ大の威厳が失墜したと言われています。




















本来、作詞家の言語への無知さからスペイン語とイタリア語が混ざった現実には存在しない単語「Mi Amore」として発表された。作詞家としては「私の愛」、あるいは「私の愛する者」を意図していたのであろう。しかし、ミMiはスペイン語で「私の」という所有形容詞であり、アモーレamoreはイタリア語で「愛」あるいは「愛する者」という意味の名詞である。そのため、いったいこれは何語なんだと話題になり批判される事態を招いた。その結果、ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕と無理やりポルトガル語としてつくりかえた。しかし、これもポルトガル語では「私の愛は…」となり言葉にもなっていない。いかに作詞家が英語以外の外国語に無知であったかがよくわかる事象である。実際、1980年代までは外国語と言えば英語一本(アメリカ英語一本)であった風潮が強くあり、たまにフランス語が加わる程度であった。そのためそれ以外の言語への無知さがしばしば歌謡曲の歌詞に表れることがある。1980年代以前もラテン系音楽は輸入されてはいたが、その多くは日本語に訳詩されていた。
続く。。。
調整中

0 件のコメント :

コメントを投稿